踊りが私の人生
日本舞踊家
藤寿々舞さん
2歳から日本舞踊を習い始め、14歳で師範を取った藤寿々舞さん。現代の曲に合わせた「踊ってみた」動画の配信から盆踊りまで、伝統ある日本舞踊の歴史に新しい風を吹き込んでいます。子供の頃から、まっすぐに日本舞踊を続けてきたように見えますが、現在の活動に至るまでには、いくつもの葛藤や挑戦がありました。これまでの道のりと、これからの挑戦について伺いました。
日本舞踊を優先しなきゃいけない
2歳から始めた日本舞踊。曾祖母、祖母、母と3代に渡り習ってきたことから、自分も踊りを習うことは必然だった。
勉強との両立が大変なこともあり、学年が上がるたびに同世代の仲間が次々と辞めていく。
友人たちが青春を謳歌しているなか、自分は遊びや部活動の時間を犠牲にして、踊りを優先しなければいけない。
「辞めてやる」と何度も思った。けれど、日本舞踊は家族との絆をつなぐもの。
舞台のスケジュールは半年先まで埋まっている。
辞めるタイミングもなく、就職の時期を迎えた。
ヘアメイクをやりたい
自分は表に立つよりも、裏方が好き。
学校を出た後、ヘアメイクアップアーティストとして就職したことで、日本舞踊との両立が難しくなった。
ずっと続けていた日本舞踊を3ヵ月間休むことになる。
これまで何度も辞めたいと思っていた日本舞踊。
念願が叶ってヘアメイクアップアーティストになり、仕事に100%の力を尽くせる。
けれど、日本舞踊をしていない自分はアイデンティティを失ったようだった。
仕事でも埋まらない喪失感。
そのなかで、家族が出演する日本舞踊の舞台を見に行った。
舞台で踊る人たち。そこに自分の姿はない。
「私はあそこに立てるはずなのに、なんで立っていないの?」
失くして初めて気が付くことができた。
踊りが私の人生だ
自分から変えていくことは苦手。人に導かれてここまで来た。
日本舞踊を教えるようになったのも、人に言われたことがきっかけだった。
踊りが好きな高校生に頼まれて、日本舞踊を教え始める。
自分が踊ることと、人に教えることは全く違った。
自分は物心ついた時には踊りをしていたため、なぜできないのかが分からない。
人に教えるため、身体の使い方などを細かく研究した。
生徒に「やってみたい」と言われたことをきっかけに、動画配信サイトで流行っていた「踊ってみた」動画に挑戦。サイトにアップすると、1本目の動画から再生回数が4万回を超える。
人から言われたことは、やってみる。その姿勢で取り組んでいたことが、実を結んでいった。
お弟子さんの数もだんだんと増えていく。けれど習い続ける人は少なく、皆すぐにやめてしまった。
そんな時に、「踊ってみた」動画を見た、名門流派の日本舞踊家、花柳流の花柳琢次郎先生から連絡がある。
世界に通用する知識を次世代に授けたいという申し出だった。日本舞踊に新しい風を吹き込む活動が評価されたのだ。
自ら指導を受ける立場になったことで、包み込み諭すような指導方法に驚いた。こんな風に教えたらいいんだ。
これまで自分が教えられた方法しか知らない。だから、生徒が辞めていく原因が自分の厳しい指導にあったと、そこで初めて気が付いた。
ずっと仲間が欲しかった。子供の頃から、次々と去っていく仲間の背中を見送ってきた。
もう今は違う。人に寄り添った教え方に変えることで、仲間が増えていく。
求めていた居場所を、自分で作り上げることができた。
日本舞踊は特別なものじゃない
昔は、習い事といえば日本舞踊が主流だった。マナーや常識を学ぶために誰もが通う場所。
けれど、今は敷居が高く、簡単に通えないイメージが付いている。
新たな道を切り開き、日本舞踊を再び有名にすることが私の役目だ。
「パフォーマンス集団をプロデュースして、日本武道館を観客で埋める」
世界に通用する日本舞踊を発信していく。
手始めに、まずは日本から。
文・インタビュー/ 小梅はる
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