流されて辿り着いた私の好き

INTERVIEW
Photo by へーちゃんフォトグラフ

流されて辿り着いた私の好き

惑星キャンドルアーティスト
船木佐來宙さん


保険会社の営業として働きながら、惑星キャンドル、マヤ暦鑑定、インスタグラム運用代行と幅広く活躍する船木佐來宙さん。キャンドルづくりのワークショップを通して、たくさんの人にやさしい時間を提供しています。しかし、自分の「好き」に出会うまでには、言葉では語りつくせない過去がありました。過去の経験から、どう自分を受け入れて今の活動につなげてきたのかを伺いました。

完璧にこなさなきゃいけないと思ってた

人生が変わりが始めたのは、息子が生まれたときから。生まれたばかりの頃は、他の子と変わらなかった。

けれど、保育園に入ると他の子と行動が異なることに気が付く。フォークを使って食べない。お腹が空いてもお茶しか飲まない。

保育士さんに勧めで療育センターを訪れる。そこで自閉症スペクトラムと中度知的障害の診断が付いた。

朝、家事をこなして、息子を保育園に預ける。保育園に行きたくないとごねて自転車から降りようとしない息子を、髪を引っ張られながら保育士さんに引き渡す。職場に行きフルタイムで働いた後、保育園に息子を迎えに行く。家に帰り、息子の相手をしながら夕飯の支度をして残りの家事を片付ける。

忙しい生活の中でストレスが募り、夫にも態度や言葉で当たってしまう。そんな日々の中で、先に限界が来たのは夫だった。会社でも家でもストレスが重なり、うつ病の症状が現れた。

そんな状況でも、完璧にこなさなきゃいけないと思っていた。週5日フルタイムで働いて、家事をして、土日は子供を外に遊びに連れていく。しかし、完璧な母親を目指すにも限界があった。

ストレスが最高潮に達し、子供のリュックを投げつけようとしてしまう。

このままではダメだ

実家に避難した。その中で、息子に強く当たる姿を見た母親が言った。「そんな言い方をするなら子供から離れなさい」。

その言葉がとどめになった。急な腹痛に襲われ、救急車に運ばれる。ストレスによって引き起こされた虚血性大腸炎だった。入院が言い渡され、その間は母親が息子の送り迎えと家事をサポートしてくれた。

1週間後、まだ食事もおかゆしか取れない中で退院。家に帰り食事の支度をしようとしたが、冷蔵庫には何もない。「買い出し手伝ってくれない?」と夫に頼んでも断られてしまう。

仕方なく、万全でない体で自転車に乗り、買い出しに行った。重い荷物を持って、ふらふらしながら帰っているとき、ラインの通知が入った。入院したことで痩せたことを羨む家族からの連絡だった。

「入院したくてしたわけじゃない!」と、怒りが爆発した。

他の家族の充実した生活といつも比べていた

何でもやってくれる優しい旦那さん、戸建てに住んでいる、他の子と変わらない子供。

それに比べて、うちでは旦那は何もやってくれない。マンションじゃなく戸建てに住みたかった。他の子と同じようには育てられない。家に帰ると怒りから、泣きながら枕を投げつけた。

それがきっかけとなり、自身もうつ病を発症した。マンションのドアを開け、2階から7階まで階段を上り、手すりに手をかけようと思うほど精神的に追い詰められた。旦那さんが迎えに来たことで思いとどまったものの、限界を感じて2か月間、実家に帰ることにした。

そんな時に、障害を持つために生きづらさを感じ、この世から逃げたいと考えている人たちの投稿をネットで見つける。自分の息子のような子たちが、障害を抱えた生きづらさから命を絶つことを考えているんだ。

息子が同じ思いをしないために、私はまだ生きていなきゃいけない

息子を思って生きることを選んだが、希望はまだ見いだせなかった。

SNSでうつ病を直す方法を探していた時に教えてもらったサプリメント。のみ始めたことで、睡眠薬と抗うつ剤が必要なくなった。他の人にも教えたい。しかし、勧めた相手はどんどん周りからいなくなっていった。自分が信じたいものと現実が伴わない。

自分が世界から離れていくように感じ、生きている心地がしなかった。そんな中で国際詐欺の被害に遭った。損失した金額を思うと、もう生きていられない。

思いつめて家に帰り、夫に詐欺の事を話した。夫は何も言わなかった。その後の夕飯で、自分が好きな音楽の映像を流してくれ、グラスにお酒を注いでくれた夫。やさしさに涙がこぼれた。

私、ここにいていいんだ

家があること、子供がいること、夫がいること。あたりまえのようにあった世界が、当たり前ではないのだと気がついた。幸せな世界はもう、ここにあった。

流されて辿り着いた私の好き

自分にとって必要のないものから距離を置いた時、新たな出会いがあった。友人から教えてもらったオラクルカードをきっかけに、占いに興味を持つ。

その中でも惹かれたのがマヤ暦だった。マヤ暦を通して自分を知り、欠点だと感じていた流されやすさが才能なのだと捉えられるようになった。

同じ頃、別の出会いも訪れる。友人からもらった誕生日プレゼントが惑星キャンドルだった。

私も作りたい!

そう思ったタイミングで、ちょうどキャンドル作家の方がマヤ暦を受けに来てくれた。頼み込んで惑星キャンドルの作り方を教えてもらい、「マヤ暦キャンドルヒーラー」としての活動を始めた。

周りの知人にキャンドルを作らせてもらい、インスタグラムでの発信も始める。徐々にキャンドルに興味を持つ人が増えてくれたなかで、マルシェに誘われた。

もっと、いろんなキャンドルを作りたい!

マルシェからはマヤ暦にとらわれない「キャンドルアーティスト」として、自由な作風でキャンドルを作り始める。すると、キャンドルの魅力に気づいてくれた人が言った。「ワークショップを開きなよ」。

そこからマルシェやカフェなど、いろんな場所でキャンドルづくりのワークショップを始める。たくさんの人にキャンドルの魅力が広まっていくことに喜びを感じた。

キャンピンクカーに道具を積んで旅をして、全国でワークショップを開きたい

これからの目標が決まった。自分自身が十分に満たせて、あふれた状態の時に他人にも与えることができる

キャンドルを伝えたいという思いはあふれた。これからもキャンドルをたくさんの人に届けていく。

文・インタビュー/ 小梅はる

PROFILE

惑星キャンドルアーティスト
船木佐來宙
保険会社の営業として働きながら、惑星キャンドル、マヤ暦鑑定、インスタグラム運用代行と幅広く活動。これまでに作成した惑星キャンドルは数知れず。カフェやマルシェなどで月に数回ワークショップを開催している。

■ Instagram 

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